東京高等裁判所 平成7年(行コ)12号 判決 1996年2月07日
控訴人 影山裕通
被控訴人 浦和労働基準監督署長
代理人 比佐和枝 志村勉 ほか五名
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一 控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人が控訴人に対し、平成五年八月三〇日、控訴人の休業補償給付支給請求及び休業特別支給金支給申請を不受理とした処分は、これを取り消す。
3 訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人の負担とする。
二 控訴の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二事案の概要
一 争いのない事実等
控訴人は、平成五年一月二九日、業務上の事由により負傷し、同年三月九日まで休業したとして、訴外社会保険労務士柳原富雄(以下「柳原」という。)に対し、右休業期間に係わる休業補償給付支給請求及び休業特別支給金支給申請の権限を委任し、委任状を作成した。柳原は、控訴人を代理して被控訴人に対し、同年三月二九日付けで、(1)労働者災害補償保険休業補償給付支給請求書・同休業特別支給金支給申請書(両書面は一体となっている。以下「本件申請書」という。)と、(2)右委任状を提出した(以下「本件申請」という。)。これに対し被控訴人は、同年八月三〇日付けで、社会保険労務士法施行規則(以下「規則」という。)一六条の三に基づいて、本件申請書には柳沢に対して事務代理の権限を与えた本人たる控訴人本人の記名押印がないことを理由に本件申請を不受理処分にした(以下「本件処分」という。)。そこで控訴人は同年九月二日、埼玉労働基準局長に対し、本件処分につき審査請求をしたところ、同局長は、平成六年五月二〇日、右審査請求を棄却したので、控訴人が、本件処分の取消しを求めて本件訴えを提起した。
二 争点
本人の委任状と共に、本人の記名押印のない本件申請書を提出することによってされた本件申請は適法な申請といえるか。すなわち、社会保険労務士が本人を代理して行政機関等に申請書等を提出する場合、規則一六条の二本文に規定する書面(本人の委任状)を添付すれば、当該申請書等に規則一六条の三に規定する本人の記名押印がなくても適法な申請といえるか。
三 本件に関係する法令の内容
社会保険労務士法(以下「法」という。)二条は、社会保険労務士が行うことのできる業務を定めるところ、同条一項一号の三は、「労働社会保険諸法令に基づく申請、届出、報告その他の事項(主務省令で定めるものに限る。以下この号において「申請等」という。)について、又は当該申請等に係る行政機関等の調査若しくは処分に関し当該行政機関等に対してする主張若しくは陳述(主務省令で定めるものを除く。)について、代理すること(第二十五条の二第一項において「事務代理」という。)。」と規定し、規則一六条の二は、(事務代理の権限の明示)の見出しの下に、「社会保険労務士は、法第二条第一項第一号の三に規定する事務代理(以下「事務代理」という。)をする場合においては、その権限を有することを証する書面を行政機関等に提出しなければならない。ただし、次条の規定により申請書等に「事務代理者」と表示して当該申請書等を提出するときはこの限りでない。」と、規則一六条の三は、(事務代理に係る書類への記名押印等)の見出しの下に、「社会保険労務士は、事務代理をする場合において、申請書等を行政機関等に提出するときは、当該社会保険労務士に対して事務代理の権限を与えた者(以下「本人」という。)の記名押印をした申請書等に「事務代理者」と表示し、かつ、社会保険労務士の名称を冠して記名押印しなければならない。」と規定する。
四 争点に対する当事者の主張
1 被控訴人
(一) 規則一六条の二本文は、社会保険労務士が事務代理をする場合における一般的な事務代理権限の明示方法を定めたもの(以下「委任状方式」という。)であるのに対し、規則一六条の三は、事務代理のうち申請書等を行政機関等に提出する場合における特別の様式を定めたものである。したがって、社会保険労務士が事務代理により申請書等を行政機関に提出する場合は、規則一六条の三に定める方式しか許容されず、委任状方式は認められない。
規則一六条の二ただし書が規則一六条の三の場合には規則一六条の二本文の書面(委任状)を行政機関等に提出させることを要しないとしている趣旨は、規則一六条の三の場合には申請書等に本人が記名押印することを要件としていて代理権の付与が明白であるから、本人及び社会保険労務士の負担軽減の観点も踏まえ、代理権限を証明する文書(委任状)の提出を不要としたに過ぎないものである。
(二) 社会保険労務士が労働者等の事務代理者として申請書等を行政機関に提出するときは、それが作成代行(法二条一項一号)あるいは提出代行(同条同項一号の二)として行われるものでなく、申請等の事務そのものについて代理権限が本人から付与され、その事務の一環として当該申請書等の作成及び提出が行われていることを明らかにする必要がある。また、労働者等が行政機関等に各種申請書等を提出することにより労働者等の権利が直接、間接に重大な影響を受けることから、たとえ社会保険労務士に申請等の代理を依頼したとしても、本人が個々の申請等の意味内容を十分認識し、責任の所在を明らかにする必要がある。規則一六条の三はそのために本人の記名押印を求め、労働者等の保護を図っているのである。
(三) 労働社会保険諸法令に基づく申請等は、一般に、これに基づいて申請者本人に対して行政庁の許可、認可、免許その他が与えられ、又は義務を免れる等一定の公法上の効果が付与される。このため、労働社会保険諸法令においては、私法関係とは異なり、申請等の内容を最も知り、かつ、その公法上の効果を受ける申請者本人が、一定の様式及び手続に従って、できるだけ正確な内容の申請等を行うことを求めている。したがって、当該法令上に別段の規定がある場合は別として、申請者本人に代わって代理人名義でその申請等がなされることは各実定法令の予定しないところであり、本来、右各諸法令に反して申請者本人に代わって代理人名義でその申請等がなされたとしても、申請者本人の申請等として公法上の効果は生じない。
(四) 社会保険事務所において、被保険者の記名押印のない請求書を規則一六条の二の方式による請求書と認めて正式受理したことはなく、厚生行政においても、本人の記名押印のないものを適法な申請書等として受理する扱いはなされていない。
(五) 税理士法三三条四項は、税理士の署名押印の不履行は、その書類の効力に影響がなく、税理士の署名押印がないからといってその書類が無効になるというものでないことを規定するにとどまり、本人の署名押印がない場合についてまで規定しているものではない。
(六) したがって、社会保険労務士が事務代理により申請書等を提出する場合、申請書等に本人の記名押印がない場合は、本人の委任状が添付されたとしても不適法であり、これを受理することはできない。
2 控訴人
(一) 事務代理の制度は、昭和六一年の社会保険労務士法の改正により、新たに加えられた制度であるが、この新制度の根幹は、申請者の行政機関に対する意思表示を、社会保険労務士が表示する意思に託する内容の委任契約を行政機関の側が認知し、尊重するというところにある。したがって、事務代理の場合に、申請者本人の申請意思を直接行政機関に表示させることは、事務代理制度新設の立法趣旨に反するし、依頼者は、事務代理制度を利用することにより、基本的な意思決定以外の事務を社会保険労務士に任て、煩瑣な手続から解放されるというメリットを失うことになる。
(二) 代理権の証明方法としては、申請書類自体による証明より申請書とは別個の委任状による証明の方が優れている。申請者と社会保険労務士との間の委任契約の内容は、両者の間の自由な意思により決定されるから、事務代理人による申請を受ける行政機関としては委任の内容を知る必要があるが、規則一六条の三の方式は、単に「事務代理者」と表示するだけで委任事項の中身を記すものではないから不十分である。しかも、代理権の存在を明らかにするに当たり、受任者の記名押印を求める理由はない。
(三) 規則一六条の三は、規則一六条の二ただし書を受けて、その適用除外要件をより具体化したものにすぎず、独立に解釈すべきものではなく、規則一六条の二本文を拘束するものではない。規則一六条の三における本人の記名押印は、当該申請書等の上にされるものであるから、その法律上の意味は、申請書等の作成提出者が申請者本人であることを示すものでしかなく、代理権限の付与を示すものではない。申請書等に本人の記名押印を必要とするのであれば、本人が行為をするのと同じであり、被控訴人の解釈は、社会保険労務士の事務代理制度を否定するものである。規則一六条の三は、委任状方式とは別個の権限明示方法を定めた趣旨であり、いずれかの方法を任意に選択できると解される。
(四) 被控訴人は、申請書等に本人の記名押印を求める趣旨を、労働者等の保護のためと主張するが、社会保険労務士の代理範囲の六五九項目中、二四一項目は、労働者等の権利に影響を与えない申請書に関するものであり、この場面で労働者等の保護を強調することは、社会保険労務士を信用していないことにつながり、結局、社会保険労務士の事務代理を認めないことと同意義となって、社会保険労務士の事務代理を認めた法の趣旨を否定することになる。
依頼者には、事務代理の他に提出代行か作成代行を選択する余地があるのであるから、事務代理による危険を承知でその利益を受けるためにこれを選択することに対して行政が干渉する必要はない。
(五) 社会保険労務士法二九条は、主務大臣を厚生大臣及び労働大臣としているところ、厚生行政においては、本件申請書とその性質をほぼ同じくする傷病手当請求書について、規則一六条の二の方式を認めて受理している例がある。
(六) 税理士の税務代理につき、税理士法三三条一項は一定の場合申請書等に本人の署名押印を要するとしている。しかし、同条四項は、同条一項により要求される本人の署名押印がない場合であっても当該書面の効力に影響を及ぼすものではないと規定しており、同条一項の本人の署名が代理権限の明示とは無関係であることを示している。また、同法においては、代理権の権限明示の方法が法律によって定められており、これは、税務代理を認めた法律自体による制限であるから、税務代理権はそのようなものとして理解すべきであるが、社会保険労務士法自体には、代理権限の明示方法の規定がなく、法律上の制約根拠がないから、原則に立ち返り、委任状方式が認められるのである。
(七) したがって、事務代理において、委任状方式による申請の場合に、申請書等に本人の記名押印を求める根拠はなく、これに応じない申請を受理しないことは違法である。
第三証拠
証拠関係は、原審及び原審記録中の証拠に関する目録に記載のとおりであるから、これを引用する。
第四争点に対する判断
一 社会保険労務士の事務代理の業務内容の一つとして行政機関等に対する申請、届出及び報告等の代理の業務(いわゆる事務代理)を規定する法二条一項一号の三は、昭和六一年一〇月一日から施行された社会保険労務士法の一部を改正する法律(同年五月二三日法律第六〇号)により新設されたものである。この改正により、行政機関等に提出する書類の作成の代行(いわゆる作成代行、法二条一項一号)、行政機関等に対する申請書等の書類の提出を本人に代わってする代行(いわゆる提出代行であり、昭和五三年に新設された。同条同項一号の二)等に限られていた社会保険労務士の業務内容が拡大した。
事務代理制度が新設されたのは、社会保険労務士の職務内容を充実させることにより社会保険労務士の一層の活用を図る必要が生じたためであるが、同時に社会保険労務士の資質の向上を図る必要が生じ、そのための改正も行われた(<証拠略>)。
右改正により新設された事務代理と従前から認められていた提出代行の業務内容とを対比すると、提出代行においては社会保険労務士が行政機関等に対し申請書等の提出手続に関する事実上の説明をすることができたのにすぎなかったのに対し、事務代理においては社会保険労務士が本人に代理して労働社会保険法令に基づく申請等を行うほか、当該申請等にかかる行政機関の調査・処分に関し、当該行政機関等に対する主張等をすることができることになった。
二 右改正法の施行に伴って制定された規則一六条の二及び一六条の三は、法二条一項一号の三の事務代理に関し、事務代理の権限の明示方法等について定めたものであるが、その規定の体裁から、一六条の二は、事務代理一般の社会保険労務士の権限の明示方法を定め、一六条の三は、社会保険労務士が事務代理として申請書等を行政機関に提出する場合の書類の記載要件を定めたものと解される。
右規則一六条の二と規則一六条の三の関係につき、被控訴人は、一六条の二が事務代理の原則であり、一六条の三の規定は、事務代理により申請書等の提出をする場合の特則であるから、事務代理により申請書等の提出をするときは、必ず規則一六条の三の方式によらなければならないと主張し、控訴人は、被控訴人の右の解釈をとると、申請書等を提出する場合は、事務代理であるにもかかわらず申請書等に本人の記名押印が必要となるから、社会保険労務士法が事務代理を認めた趣旨に反する結果となるので、委任状方式も当然選択できるものと主張するので検討する。
労働者等が行政機関に対して労働社会保険諸法令に基づく申請、届出、報告等をする場合は、自ら申請等をする場合であると、社会保険労務士の事務代理による場合であるとを問わず、労働者等に直接公法上の効果が生じ、労働者等の権利関係は重大な影響を受けることになる。したがって、労働者等が自己の責任において申請書等の提出行為を社会保険労務士に委任したとしても、なお、本人が自ら申請書等の内容等を十分に認識し、委任の範囲を確認する機会を持つことを目的とする手段を定めることには合理性がある。また、右の目的を実現するための手段として、労働社会保険諸法令を所管する行政庁において、社会保険労務士法二条一項一号の三を受けて規則を定め、事務代理のうち、申請書等の提出については、申請等をする本人の記名押印を要求する施策を採ることは、右目的を実現し、併せて申請書等の作成、提出が代行として行われたものではなく、申請等の事務そのものについて代理権限が本人から付与され、その事務の一環として当該申請書等の作成、提出が行われていることを明示するための手段として不相当であるとはいえず、前判示の事務代理新設の趣旨に反するものということもできない。そしてこの記載要件が満たされる限り代理権の付与及びその範囲は明白となるから、規則一六条の二本文による代理権限の証明書の提出を不要とした同条ただし書の合理性も首肯される。
なお、厚生行政において控訴人主張の規則一六条の二の方式によった事例が存在することを認めるに足りる証拠は存しない。
三 したがって、規則一六条の三は規則一六条の二の特則と解すべきであり、事務代理においては、たとえ本人作成の委任状が申請書等に添付されていたとしても、申請書等に本人の記名押印がない限り適法の申請等ということはできない。控訴人の代理人として柳原がした本件申請は、本件申請書に本人の記名押印がないから適法な申請ということはできず、本件申請書が規則一六条の三の要件を欠くことを理由に本件申請を不受理処分とした被控訴人の本件処分は適法である。
第五結論
よって、控訴人の請求を理由がないと判断した原判決は正当であり、本件控訴は理由がないから棄却することとし、控訴費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 三宅弘人 北野俊光 六車明)